ゆめゆめ忘れる事勿れ 第3話

何も出来ないまま死んでしまった九郎がたどり着いたのは、不思議な少女がいる空間だった。子どもを「助ける」ために再びこの世に戻ってきた九郎。果たして烏丸から子どもを守る事は出来るのか。山梨県小菅村を舞台にした地域小説第3話。

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第一章 ゆめゆめ忘れる事なかれ 第3話
枯葉を蹴立てて慎重に駆ける。
重いし、息は上がるし、おっころばないように慎重に走るのは辛い。
しかし、前よりもずっと速く進めている。
ちらりと見覚えのある杉の木が見えた。

烏丸に叩きつけられた木だ。

見てしまうと、あのぞっとするような真っ黒の目が自分を見つめているような気がして、九郎は頭を勢いよく振って、足を動かすのに集中した。

「ぜえ、ぐ、はあ、大分、進んだ、よな?」

しばらく走っていると民家が見えた。今は誰も使っていないようだ。
九郎の息はもう絶え絶えだ。少しだけ休憩することにした。
前よりも大分進んだことだし、烏丸もまだここまでは来てないだろう。

念のために、民家のわきのあった物置の奥の方、古い味噌樽のすまっこに子供を寝かせることにした。
ここならよっぽど声を出したりしない限り、見つかることも少ないはずだ。

九郎の背中を掴んで離さなかったのを、優しくほどいて子供を下す。
すうすうと、子供は健やかな寝息を立てていた。
「じいちゃんも、こんな気持ちだったのかな」

物置から出ると、高く上った真ん丸な月の明かりが存外眩しかった。
ぐるいからはもう、悲鳴も炎の爆ぜる音も聞こえなかった。
聞こえるのはくさのはなが風に撫でられる音だけだ。

冷え冷えと吹き渡る風が火照った体に気持ちがいい。
小菅村は山が近いため日が陰るのが早い。
そのため空気がすぐに冷えてしまう。
普段なら堪らない程さぶくて仕方のないそれが、今はただただありがたい。

九郎はひとりごちた。

「全部夢だったらいいのに」

殺戮があったことがいまだ信じられない。
だが、血とけぶい臭いが鼻の穴の中に残っている。
血の海に浮かぶみんなの姿を必死に思い出さないように、九郎は意識をそらそうとした。

とにかく逃げることを考える。

息が整ったらすぐにここを出よう。
そう思いながら家の壁にもたれかかった。

疲労で意識がだんだんと霞がかっていく。
寝てはだめだ、寝てはだめだ、どこかで自分の声がする。
意識が落ちた。

膝が地に着いた衝撃で九郎は意識を取り戻した。
慌てて立ち上がる。

「まずい」

どのくらい気絶していたが分からないが、早くいかないと奴が来てしまう。
物置に戻ろうと振り返った瞬間、後ろからちりん、と嫌な音が鳴った。

首の毛がぞっと逆立つ。
反射的にしゃがみ込んだ。
その頭すれすれを銀色の閃光が走る。

「あれ、外した」

尻餅をつきながら振り返ればそこには烏丸がいた。
能面のように白い顔を傾げている。

「な、なんで、もうここに……?」

九郎が絶望の吐息を漏らした。
烏丸が跳ねるように一歩、九郎に近づいた。
動くたび猛烈な血の臭いがする。

じっと、大きな黒い、穴のような目が九郎を縫い留める。
見つめられた。たったそれだけで、九郎は指一本動かせない。ただ震えるだけだ。

「お兄さんの、足跡探すのは簡単、だったけど、鬼ごっこは楽しかった、よ」

にこりと、至極綺麗に烏丸は笑った。

「死んでると思ったら、一人、おにーさん、逃げるの見た。だから、中、組だっけ? あそこの人間たち殺してか
ら、追った」

「い、一体、何が目的なんだ、お前は」

がちがちと歯を鳴らしながら、九郎は尋ねた。

「おれのご飯、ない。金も。でも強い、よ。だから弱いのからもらう」

限りなく透明な声だった。
だらりと刀を握ったその右手はべとべとに濡れ、汚い光を放っている。

「でもこれは遊び。おにーさんは最後の一人なの」

ゆっくりと刀が振りかぶられる。
九郎の思考が停止し、恐怖が意識も体も支配する。

「さよ、なら」

今度こそ死ぬ。
迫りくる刃から、九郎は腕を前に出して目をぎゅっとつぶった。
すぐそばで勢いよく民家の戸の開く音がした

衣擦れ、重い足音、金属のぶつかり合う高い音。
優しい風が九郎の頬を撫でた。

「丸腰を襲うのは感心しないな」

深い、落ち着いた声が響いた。
目を開くと、紺色の着物に包まれた逞しい背中が見えた。

「だ、れ?」

烏丸は右に左に上に下に、めちゃくちゃに刀を振るいながら尋ねた。
その速度は鬼のように速い。
そのすべての斬撃を、突然現れた男は刀の峰で、腹で、切っ先で、受け流し、受け止めてゆく。

二人の刀が交差し、何度も暗闇に火花を散らした。
呆然と見つめる九郎には、どのように刀が動いているかすら分からない。

「ん、ふふ。兄さんってば、強い、ね。俺ね、烏丸って言うの。よろしく、ね」

後ろに跳ねて、間合いを取った烏丸がひどく嬉しげに笑った。

「俺はただの通りすがりだ」

激しく打ち合ったにも拘らず、男は一切息切れをしていない。

「あ、あそ、遊ぼう」

「おい。そこのお前。逃げろ」

男が九郎に向かって言った。

「え……」

「早くゆけ!」

烏丸を、猛禽のように鋭い瞳で睨みつけながら男が言った。

「おにい、ちゃ」

その時、目を覚ました子供が泣きながら物置から出てきた。

「うああん……に、にいちゃん……」

「来んな!」

九郎が叫んだ時には遅かった。

「子供、邪魔」

烏丸はそういい捨てると、子供に向かって跳躍した。

「やめ……!」

九郎が手を伸ばしたが、間に合わない。
子供に向かって刀が振り下ろされた。

「ぐ、ふぁ」

名も知らぬ男が子供の前に立ちふさがっていた。
烏丸の刀が男の脳天から、顎の下まで食い込んでいる。
脳天を唐竹割にされて、巨大な男の身体が頽れる。
血しぶきが満月の光にちらちらと反射しながら舞った。

「つ、まんな、いの」

びくびくといまだ震える男の身体を足蹴にしながら、烏丸がひどく呆れたように呟いた。

「ひ、ひ、ひいい!」

男の血を滝を浴びた子供が、絶叫を上げながら走り出した。
森の中へと一目散に消えていく。

「ふ、ああ、飽きた。もう、早く、きんきらの仏様のとこへ、寝床へ帰る」

欠伸を一つすると、烏丸は九郎へと向き直る。
またしても刀が振り上げられた。

九郎は落ちていた男の刀を拾うと死に物狂いで打ちかかった。
あっさりとその剣先をはじくと、烏丸は跳躍した。
ふわりと白いものが目の前に迫る。

「あ」

気づけば、九郎は逆袈裟に切り捨てられていた。
余りにも速い。
痛みを感じる間もなく、闇の中へと九郎は落ちていった。

つづく (次回は11月21日更新です)

*この小説はフィクションです。実在する地域の地名や伝承を使用していますが、登場する人物・団体・出来事などは架空の物であり、実在するものとは関係ありません。
*この小説は隔週木曜日に更新されます。

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筆者:藤田侑希
イメージ写真:井口春海、矢野加奈子

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