ゆめゆめ忘れる事勿れ 第1話

地域には、私達の想像力をかき立てるロケーションや物語が溢れています。そこで、私達が関わっている地域を題材に小説を作成していただきました。第1弾は山梨県小菅村を舞台にした小説です。山深い小菅村から、どのような物語が紡ぎだされるのか、皆様お楽しみください。

第一章 ゆめゆめ忘れる事なかれ

ほのかに紅葉し始めた山々が、澄んだ青い空を切り取っている。
ぴいひょろろとトンビの鳴く声が聞こえる。
木々も畑も川も、何もかもが初秋の日差しに照らされてきらきらと輝いている。

甲斐国北東部に位置する小菅村は今日もまるで夢のような、そしてどこにでもあるのどかな村だった。
縁側に腰を掛けた爺さんが、柔らかな日差しを浴びながら煙管を吸っていた。
孫がその背に飛び掛かる。
小さなその体を抱き上げて膝に乗せてやると孫はにこにこと笑った。

どうやらお昼ご飯ができたのを伝えに来たようだ。たしか今日はせいだを煮ていたはずだ。醤油で甘じょっぱく煮転がされたせいだは、ほくほくしっとりしていてとってもおいしい。山女魚もあとで焼いてやろう。朝とってきたのがまだ2尾あるはずだ。

「爺は後からゆっくり行くから、おまえは先におっかあの手伝いしといで」

「うん!」

かけていく孫の後ろ姿を見ながらそっと微笑む。爺さんはとても倖せだった。
少し冷たさが出てきた風が爺さんの曲がった背中を撫でていった。

その風にのって、じゃり、と砂のにじる音が聞こえた。
爺さんが視線をやるとそこには男がいた。
腰には使い込まれた一振りの刀を差している。
爺さんの目が驚きで見開かれた。

夕暮れ、橙と桃色に染まった空に黒煙が昇っていく。
薄暗い森に響く轟音、そして斬り殺されてゆく人間たちの悲鳴。
数刻前まであんなに穏やかだった山奥の小さな村は、とつぜんやってきた男たちに蹂躙され、赤く燃え上がる叫喚地獄そのものになり果てていた。

九郎(くろう)はごうごうと燃え盛る村から逃げ出そうと必死で森の中を走っていた。
森の中は暗いうえに入り組んでいる。
鬱蒼と伸びる枝々は九郎の行く手を阻み、枯葉の海は足を取ろうとしてくるようだった。
なんで、なんでこんな。
九郎の頭の中で何度もそれだけが反響してゆく。

今日は普通の日だった。
畑の雑草抜いて、山女魚を釣りに出かけて、婆ちゃんたちとお喋りして、何の変哲もない、一人暮らしの気ままな一日。
夕方、九郎がいつも通り蕎麦を茹でていたら轟音が響いた。

どうやら九郎の家より風下の、集落が密集している辺りから聞こえてきたようだった。
慌てて山を下ると、既に川池と呼ばれるその辺りは一面炎に巻かれていた。

転々と、道々に見知った顔の人たちが血の池の中に転がっている。
首のない仙蔵さん、目を見開いて死んでる恭二郎、赤ん坊と一緒に転がっているいつかさん。手をつないでうつぶせている、はなと用吉の幼い兄妹。
老いも若きも男も女も、よちよち歩きの子供さえ誰一人動かない。

遠くで誰かの断末魔が聞こえてきた瞬間、呆然としていた九郎は一目散に逃げだした。

「わっ」

山の中を必死で走っているうちに、草鞋が滑った。

「いで!」

すぐに立ち上がろうとしたが、足をひねったのか再び泥と枯葉の中に崩れた。
荒い呼吸が痛みを全身に運んでいるようだった。聞き覚えのある声の断末魔が、呪いのように九郎の耳の中へと飛び込んでくる。

もう全部忘れてしまいたい。
がたがたと体が震わせながら、九郎は頭を抱えて目を強くつぶる。

「……たすけて……」

暗闇の中で、炎の爆ぜる音に交じって誰かの泣き声が聞こえた気がした。
体を起こして周りを見渡すと、少し離れたところの木の傍に人影のようなものが見える。
しゃがみこんで泣いている小さな影は子供だろうか。

「ああ、くそ」

ずるずると杉につかまりながらゆっくり立ち上がると、くじいた足に体重をかけぬように歩いていく。

「う、うあああん……、おっかあ、おっとう……うあ、ふっ……うう」

男の子が膝を抱えて泣いていた。
九郎はできるだけ声が震えないよう大きく息を吸った。

「なあ、そこのちび」

「ひっ」

九郎が声をかけると、子供は短い悲鳴を上げて丸まるように縮こまった。
目からまるで滝のように涙が流れている。
九郎は子供の顔を覗き込んで尋ねた。

「大丈夫だ、おれは小菅の人間だ。お前は小菅の子か?」

「ひ、ひっく、え、ほ、ほんとに?」

「お前、おっかあやおっとうはどうした、一人なのか」

「おっとう、は、悪い奴、やっつけてくるって出てった、お、おれ、おっかあと逃げてたけど、途中で、おっかあ倒れて、動かなくて、でもあいつら来るから、おれ、おれ、うううー……」

また子供の目から涙があふれる。九郎は自分の袖で顔を乱暴に拭ってやると、子供の手を掴んで引っ張った。

「泣くな泣くな頼むよ、とにかくここ離れるぞ」

「た、たてないい。たすけて」

子供は腰が抜けてしまったようだ。膝が笑っている。

「ああもう、おぶってやるから早く乗れ」

震える小さな体を無理やり背負うと、九郎は痛む足に体重をかけないようにゆっくり歩き始めた。

「はあ、少し休憩だ」

森の中の少々開けた場所に九郎は腰を下ろした。子供は柔らかい草の上にそっと寝かしてある。泣き疲れてよく眠っているのが気の毒だった。

「それにしても、急がないと」

思ったより歩みが遅いし、さっきから足がじんじん熱を持ってきている。とても痛い。
だが、ここは小菅の東部地区だ。もう少し進めば民家も減るし賊も追ってこないだろう。
あと一息か。そう九郎が溜息をついた時だった。

ちりん、と綺麗な音が鳴った。
木々の間の闇の中から白い手が伸びる。
九郎の結び髪をわしづかむと、傍らの杉に向かって叩きつけた。

「がっ!」

「見つけた。みっけた。逃げたの、みつけた」

楽しげな声がきこえる。
草鞋を履いた足が九郎の腹に食い込んだ。

「げえっ」

呼吸が止まる。
九郎は胃の中身を吐きながら悶えた。

「こ、んにち、は、オレは烏丸(からすまる)。これから、ふ、う、みんなと同じ所へ送ってあげる、ね」

上から甘く高い声が降ってくる。
烏丸、聞いたことがある。一年ほど前から甲斐の国を暴れまわっている、野盗の首領の名だ。
ここ一帯の領主、小菅信景が出したが五十もの討伐隊を、たった十五人で皆殺しにしたときく。命乞いする者の首を笑いながら刎ねる、血も涙もない鬼の集団だ。

「う、あ……頼む、子供だけでも」

「だ、め」

見上げると月に煌々と照らされた男がそこにいた。涙に歪んだ瞳でも、はっきりとわかるほどその顔は美しい。
切れ長の瞳、通った鼻筋、紅を刷いたような仄赤い唇。白い着物を赤黒く染めて、雫の滴る刀を下げて、奴は笑っていた。

「成仏しなね」

焦らすように刀を持った手が上がってゆく。ちりん、と手首に結ばれた金の鈴が揺れた。

「たすけて」

生暖かな風に乗って、子供のか細い声が聞こえた。
そのとき胸が引き絞られるように苦しくなった。喉がふさがれたように息が浅くなる。
九郎の中で何かが割れた。

「ああああああ!」

にやけ面に向かって殴り掛かる。しかし拳を握って飛び掛かった時には、既に冷たい刃が九郎の首に食い込んでいた。
光を吸い込んで離さぬ男の黒い瞳が九郎をじっと見つめている。

『助けて』

再び掠れた声が聞こえた瞬間、九郎の息が止まった。

つづく (10月24日(木)更新)

*この小説はフィクションです。実在する地域の地名を使用していますが、登場する人物・団体・出来事などは架空の物であり、実在するものとは関係ありません。
*この小説は隔週木曜日に更新されます。

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筆者:藤田侑希
イメージ写真:井口春海

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